大人のための子どもの本の読書会

向島こひつじ書房が主宰する読書会ブログ

『クマのプーさん』をめぐる物語

読書会の準備を通して、今回もプーをめぐる本に新しく出会うことができました。
その中の何冊かを紹介します。

クマのプーさん 世界一有名なテディ・ベアのおはなし

クマのプーさん 世界一有名なテディ・ベアのおはなし


クマのプーさん』はあと3年で100歳の誕生日を迎えます。そんなプー初の伝記がこの4月に出版されました。伝記が出るほどプーも歴史を重ねたものだと感慨深く思っていましたら、なんとこれ、物語のプーくまではなく、プーのモデルとなったテディ・ベアのぬいぐるみの運命を、ジャーナリストが丹念に取材をした内容です。

本に登場するプーとその仲間たちは、著者ミルンの子どものぬいぐるみがそれぞれモデルになっています。ぬいぐるみたちは、出身地であるイギリスからアメリカへと旅立ち、今なおニューヨーク公共図書館の陳列棚で暮らしています。

クマのプーさんと魔法の森

クマのプーさんと魔法の森


プーの仲間と言えば、親友のコブタ、イーヨー、フクロ、カンガとルー坊、ウサギ、トラーがいます。読書会では、自分はどのキャラクターに近いか、あるいは、どのキャラクターが好きか、という質問をアイスブレイク代わりにしました。プーになりたいが、そこまで天然ではないかも、というのがこひつじとこすみでした。知ったかぶりだった若気のいたりを自戒しつつフクロという方が2名、以外なところではウサギ、という方もいました。

さて、本筋に戻しますと、『クマのプーさん』の主人公は、じつはクリストファー・ロビンです。クリストファー・ロビンは、「ばっかなクマのやつ!」と、愛情をこめてプーに呼びかけます。ディズニーのアニメで初めてプーに出会ったという世代は、クリストファーの存在をよく知らないことが多いようです。

この本は、プー物語のモデルとして、幼いときからはからずも有名になってしまったミルンの息子が、50歳を過ぎて、プーにまつわる複雑な思いを初めて語った自伝的作品です。実際のミルン親子の間には、プーをめぐる葛藤がさまざまにあったようです。

名声を得過ぎてしまった親子は、いつまでもプーに追いかけられることになります。読者が期待しているのは、やはり「プー」。しかし、作家としてのミルンは、4冊の子どもの本を書いた後、子どもの本から逃げ出したいと考えます。その後は、大人のために小説や劇、随筆などかなりの作品を世に出し、プーを取り上げることは二度とありませんでしたが、プーの幻からは終生、逃れることはできなかったようです。そういえば、『赤毛のアン』の著者・モンゴメリーも、アンから逃れたがっていたことを思い出しました。でも、モンゴメリーの場合は、読者の期待と経済的な理由、保守的な時代における女性という立場の弱さなどから、アンを書き続けるしかなかったのですが。

ミルンの子どものクリストファーの場合には、人々から期待されるクリストファー・ロビンとしての自分と、現実生活での自分との二つの自分の間を揺れ、はにかみ屋な性格もあってか、試行錯誤を重ねた人生だったことがわかります。

単純にプーの舞台裏を楽しむためにも読める本ですが、人とはどういうものなのか、人生における名声とは何であるのか、あるいは家族とは、などを考えさせられる内容にもなっています。

When We Were Very Young

When We Were Very Young


Now We Are Six

Now We Are Six


この2冊は、ミルンが『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』を書く以前、まだ本当に幼かったクリストファーのために書いた詩集です。プーやクリストファーというおなじみの仲間もすでに登場します。プーの挿絵で有名なアーネスト・H・シェパードの絵がふんだんに使われ、目にも楽しい本となっています。

最初、ミルンはシェパードの起用を気に入らなかったようです。けれども、プーの挿絵を描くにあたって、シェパードは毎日ミルン家に通い、プーとその仲間たちの性格をつかむことにつとめ、共同制作者と言える間柄になりました。

シェパードは、イギリスを代表する挿絵画家、風刺画家であり、自身の創作絵本も何点か出版しています。挿絵画家としてはケネス・グレアムの『たのしい川辺』の挿絵を手がけ、不動の評価を得ました。

たのしい川べ (岩波少年文庫 (099))

たのしい川べ (岩波少年文庫 (099))


また、娘のメアリーも挿絵画家としてP.L.トラヴァースの「メアリー・ポピンズ」などを手がけて活躍しました。こひつじにとって身近に接してきた子どもの本が、プーをめぐる人々の手によるのだと知って嬉しくなりました。

幻の朱い実〈上〉

幻の朱い実〈上〉


幻の朱い実〈下〉

幻の朱い実〈下〉


もう一人、忘れてはならないのがプーを日本に紹介した翻訳の石井桃子さんです。
石井さんは、日本女子大学英文科を卒業後、文藝春秋社で編集者として働いていました。上司である菊池寛の紹介で、当時の首相、犬養毅家の書庫整理にあたるようになり、あるクリスマス・イブの日、犬養家でミルンの『プー横丁にたった家』の原書に出会いました。それは、犬養家の子どもたちが、西園寺公一からプレゼントされたものでした。

プー横丁にたった家』を日本語に訳しながら犬養家の子どもたちに読み聞かせしているうちに、すっかりこのプーというクマに魅了され、今度は自分で『クマのプーさん』の原書を買い求めました。そして、同じ大学出身であり、文藝春秋の有能な編集者でもあった病床の親友を楽しませるために、少しずつプーの翻訳を始めました。自分の大切な人のために始めた純粋な営みが、その後、子どもの本の編集者、翻訳者、作家としての偉業へとつながっていきました。

これらの出来事を踏まえ、半自伝的小説として、石井さんは晩年に一冊の本を書き上げました。8年の歳月をかけた長編1600枚は、高い評価を得て、第四十六回読売文学賞小説賞を受賞しています。2・26事件の激動期、プーを贈った親友・蕗子と生きたひと時代を舞台に、親密な情愛で結ばれ、自立をめざして生き抜いた2人の女性の魂の交流が描かれています。

読んでみて驚いたのは、2人の女性の関係があまりに緊密で、少し違和感を覚えるほどでした。蕗子という女性は、プーの物語を贈ることになる病床の親友・小里文子(おり・ふみこ)がモデルだと言われています。作品の中では、文才のあるエキセントリックな人物として描かれています。

それに対して、石井さんと思われる主人公・明子は、魂の自由を求めながらも、家のために生き、周囲の期待に真摯に応えようとする生真面目な面を持つ女性として描かれています。蕗子との交友を通して、明子は次第に、その内に秘めた情熱、強い意志が外側にも溢れてくるように変化していきます。性格的には相反する2人ですが、女性の自立への切望を核に、信頼、依存、反発など、さまざまな心理的変遷を積み重ねながら、いわゆるソウルメイトとなっていく様が、丹念な描写で描かれていきます。情景、そして心理描写、ともに卓越していますが、とくに、主人公と蕗子との手紙のやりとりは絶妙です。石井さんの言語に対する感性と洞察の深さをあらため知ることができました。石井さんは生涯、仕事に生きた方であり、シングルを通したようです。ところが、この物語では結婚生活に思い悩む主人公の姿が、ずいぶん描かれています。晩年に8年かけて書き上げた半自伝小説に、この設定を選んだ意図などが気になってしまったこひつじでした。女性の自立、こういう単語は今の日本ではあまり耳にしませんが、時代背景を考えると、まさに女性と社会がどうつながっていくのかという転換期であり、そこには結婚、家庭、家という問題は外せないからかもしれません。日本の子どもの本の世界を豊かに切り開いて下さった石井さんの業績に、心から敬意を示したいと思います。

『幻の朱い実』には、タイトルこそ出てきませんが、明子が蕗子にプーの物語を語って聞かせる記述がいくつか出てきます。
その一節を引用してみます。

休日に彼女たちがいっしょにすごすのは午後早くから夜八時すぎまでであったから、その間には、蕗子がふと頭に浮ぶままに歌を朗詠するとか、明子が愛読するイギリスの子どもの本の断片を語ってきかせるなどする余裕も十分にあった。そういうことからも、渾名や隠語がたくさん生れた。渾名の例でいえば、明子がきかせた「お話」のなかに、学者ぶった、ぬいぐるみのフクロウがいて、自分の名のOWLの綴りをまちがえて、WOLと書くのであった。その話に抱腹絶倒した蕗子は、加代子の夫の雅男にウォル、時にはもじってウォルターという渾名をつけた。(『幻の赤い実』岩波書店)

ここにもフクロが出ています。フクロのキャラクターは、私たちの身近に多いのかもしれませんね。

プーをめぐる物語は興味が尽きません。みなさんにも、読書会のブログを通して、いずれまた紹介したいと思います。

(文責・向島こひつじ書房)