大人のための子どもの本の読書会

向島こひつじ書房が主宰する読書会ブログ

読書会報告『アンの青春』は少女マンガ! ?

 

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今回は10名のアン好きさんが参加してくださいました。10代から70代までと、各世代ほぼ勢揃い。それぞれの時代で、それぞれのメディアからアンに出会った女性たちでした。中学生さんが持参してきたのは、マンガの表紙でした、じつはこれ、近年よくある妙訳ではなく、「完全版」というすぐれもの。

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会場となった貫井南町キリスト教会は、アプローチからしてアンの世界。見上げると空は青く前庭の芝生は鮮やかな緑。気持ちがあがります。

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相棒の美智子さんがすてきなウエルカムボードを用意してくださいました。アンといえば、バラでしょうか。

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聖書にちなんだ植物を各所に配した教会の庭です。

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イスラエルの白無花果。こひつじの教会にもあります。聖書ではおなじみの果実。アンにはでてきませんが。

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憧れの作家、モーガン夫人をもてなそうとアンが心をこめて焼いたレモンパイ。美智子さんがイギリスで地元のお菓子家から学んだ直伝のレシピ。有機レモンを皮までまるごとふんだんに使っています。

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レモンパイは2種類。美味しくてみなさん完食。

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アンの10年読書会では、お茶会は美智子さんが担当してくださるので、こひつじは安心してファシリテーター役に徹しました。じつは私たちは、ともに日本紅茶協会で学んだティーインストラクターというつながり。お互いにアン好きとわかり、意気投合。こひつじにとっては、牧師の奥さんの先輩でもあります。端正な盛り付けに人柄が表れています。

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お皿を彩るのは、プロセスチーズをかりっと焼いたもの。細やかな演出。

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もちろんこちらも手作り。

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昨年のアンの読書会でも大活躍した、美智子さんの絵付けによるカップ&ソーサー。

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ティーポットもイギリス製です。夢見るようなティータイムに、みなさんにっこり。笑顔の絶えないお茶会でした。

 

当日のプログラム

アンの読書会の場合、みなさんそれぞれに語りたいことをお持ちですので、アイスブレイク後は、フリートークでも難なく進みます。この前向きな空気感は、アンの読書会ならではかと思います。まさに「愉快きわまりない」時間でした。

1.アイスブレイク/参加動機、自分とアンとの出会い(これ、盛り上がります。いつも)

2.まずは自由に感想。

3.印象に残った場面の分かち合いと、フリートーク

4.お茶会/モーガン夫人のお茶会の模様を本文から紹介。

    お茶をいただきながら、大人読み紹介。

5.さらにフリートーク

6.参加してみての感想

『アンの青春』は、原題を『 Anne of Avonlea』と言い、アン・シャーリーが16歳から18歳までの物語です。Avonleaとは、アンの暮らすアヴォンリー村のことです。

マリラの視力が悪化し、大学進学をいったん諦めたアンは、アヴォンリー小学校で先生として働き始めます。新米先生(なんと16歳)の奮闘を縦軸に、村人たちとの交流を数多くのエピソードで描き出していきます。グリンゲイブルスでは、身寄りのない男の子と女の子のふたごを引き取るという新たな挑戦が始まり、今度はアンとマリラの協働で子育てが繰り広げられます。先生となったアンが落ち着きを見せていく中で、ふたごの男の子デイビーが、突拍子もないアンの子ども時代を再現するかのように、次々と騒動を起こして、物語に彩りを加えます。もちろん、ダイアナやリンド夫人、ギルバートも健在です。

赤毛のアン』は1908年6月に出版されました。モンゴメリー自身は、アンの物語をシリーズ化するつもりはなく、読み切りの作品として執筆しました。ところが、『赤毛のアン』を発売する前から、版元はその続編をモンゴメリーに依頼しています。1908年11月初旬には、モンゴメリーは版元に原稿を送っていますが、実際に『アンの青春』が出版されたのは翌年1909年9月、1年近くも後のことでした。これは、『赤毛のアン』が予想外のヒットを飛ばしたので、版元としては売れるだけ売り切ってから続編を出すという販売戦略のためでした。

あらためて大人読みをしてみると、『赤毛のアン』があってこその続編ということで、読者の願いを集約したような期待を裏切らない作りを面白く感じました。けれども、モンゴメリの日記や書簡を読むと、著者自身は続編に気乗りしていないことがわかります。続編が出版されるや、「すでに首までアンに浸かっているので、3冊目など御免こうむりたい」という心情を吐露しています。それでも、読者の期待を心得て、ツボをおさえているところは、一種の職人芸とも言えそうです。今では言えば、読者アンケートの結果に追いまくられ、この連載から降りたいと願いつつも、不動の人気を維持し続ける人気マンガ家さながらの気概といいますか。(こひつじはその昔、マンガの編集部で働いていた時代がありまして、こんなたとえ )。

赤毛のアン』は、リンド夫人の堂々たる登場で幕開けしますが、 『アンの青春』は、アン自身、それも夢見る16歳の姿から始まり、おなじみのアンの様子に読者は安心します。しかし、その空想は、隣人の畑に自分の牛が入り込むという事件で中断させられます。隣人とのトラブルといえば、『赤毛のアン』読者ならば、リンド夫人を思い出し、また牛の取り違えからは、孤児アンが男の子ではなく女の子だったという行き違いを思い出すわけで、こうして1巻から2巻への橋渡しがうまく展開していきます。その後、ハリソンさんに損害を与えてしまったアンは、意を決して謝りに出かけます。気難し屋だと思っていたハリソンさんが、じつは話のわかる隣人だったというくだりは、リンド夫人に謝りに行く少女アンや、ダイアナのジョセフィン叔母さんのことなどを彷彿とさせるエピソードです。

このような『赤毛のアン』のオマージュ的な要素が随所にちりばめられ、アン好きには宝探しにも似た楽しさを発見できるのが、『アンの青春』の特徴のひとつかもしれません。先生となったアンは、猛烈なおしゃべりや失敗は減ったものの、髪の毛ではなく、鼻を赤く染めてしまったり、女友達とのピクニックでは、ロマンチックを爆発させたりと、私たちのよく知るアンらしさも満載です。

『青春』と訳した村岡花子さんのセンスによって、日本の読者は、アンとギルバートとのその後を期待しつつ読めるのも嬉しいところです。ギルバートはちらちらと姿を見せて、その好青年ぶりを印象づけます。読書会に参加された方が、「ギルバートの心情をもっと書いてほしかった」と話されていました。確かに、ギルバートはアンに対して驚くほど慎重です。それに対して、「アンの性質をよく理解しているので、簡単には気持ちを見せないのでは」という意見もありました。アン・ブックスにおいて、モンゴメリー は男性側の心情をほとんど書きません。女性側からの心情だけを描くのは、もしや、当時の女性の置かれた立場や牧師の妻という立場を、必要以上に厳格に受け止めていたモンゴメリーの考えによるのかもしれません。

 26章には「道を曲がったところ」というタイトルが付けられています。『赤毛のアン』の「道の曲がり角」では、マシュウの死によって、アンは大学進学を諦めて教師の道を選びますが、こちらでは、リンド夫人の夫の死によって、マリラとの同居が決まり、アンは晴れてレドモンド大学へ進学することが決まります。この大団円に、多くのアンの読者は満足すると思います。最後の場面では、ともに進学するギルバートの将来への甘い夢が、地の文で語られています。アンとギルバートのロマンスの予感を読者に与えての幕引きです。このあたりも、少女マンガの王道に通じるような。うまいんですね、夢見る女子の気持ちをつかむのが。子どものころ、この『アンの青春』のラストシーンを、どきどきしながら繰り返し読んだ記憶があります。もしかすると、少女マンガと同じ感覚で、アンを読んでいたのかもしれません。

来年は、いよいよ『アンの愛情』。恋愛ものですよ。ときめき満載。1年後、みなさんとお目にかかれることを楽しみにしています !